宮崎市にある囲碁の日本棋院宮崎支部(囲碁教室・碁会所)

日本棋院 宮崎支部 支部長 日高康貴(ひだかやすたか)

プロフィール

宮崎県西都市出身(西都原古墳群、伊東マンショ、マンゴー他)現在72歳。

妻と宮崎市に在住。子供男2人、孫3人(男1女2)は県外。

父は公職追放、実家に帰り細々と農業。5人姉弟末っ子の甘えん坊。

幼少の頃はガキ大将。妻南小、妻中、妻高は井の中の蛙。

大分大学でラグビーと出会い、やっと半人前の男になる。

昭和44年宮崎県入庁、平成18年退職。商工と福祉。「嵐を呼ぶ男」の異名。

午前中県図書館、午後江平棋院(当日本棋院宮崎支部の通称)が日課。

支部長歴3年。支部長というより席亭の相談役。

碁とは?碁とは?碁とは?

碁とは無限。迷い、乱れるモノ。

碁とは、自分の心。正体を突き止めたくても、永遠に不明なモノ。

碁とは、人間が発明した最高傑作の一つ。

碁とは?碁とは?碁とは?

碁に迷い込んだきっかけ

高校卒業後担任の関谷先生(故)に9子でコテンコテン。大学の寮でN君と同室になり、暇つぶしに打ったのが碁に迷い込んだきっかけ。

以前は盛んだった職場での碁

入庁当時の県庁。昼休みになると、応接台の下から碁盤と将棋盤を取り出し、あちこちで対局。数人が取り囲み、「そりゃいかん」「そっちじゃねが」と周りの方がうるさい。

終わらなければ、キャビネットの上に置き、5時半になったら再開。終わったらニシタチ(飲み屋街)で反省会。風通しの良い、古き良き時代だった、、、。

先代「伊藤惟秋先生」に想う

宮崎の囲碁の礎を築かれたのは、先代の「伊藤惟秋先生」。

子供四人がいるのに「脆弱な宮崎の囲碁界を強固なものにするとの一念で、安定した県庁生活を46歳で捨てられた」とお聴きした。

ご本人の信念・決意もさることながら、奥様の寛容・覚悟に驚愕し、お二人に心から尊敬の念を抱いている。

綾碁盤、日向蛤碁石の里みやざき

囲碁は趣味の一つ。文化の一つ。そうはいっても綾碁盤、日向蛤碁石の里宮崎で「若い世代の囲碁離れが進み、囲碁人口が減少している現実は寂しい」

席亭が更に明るくなり碁会所に笑い声が増えた

「若者の囲碁離れを嘆いてもダメ。人にアレコレ言うより、自分でやれることをやってみます」

子供囲碁合宿、ご長寿囲碁大会、プロ棋士との交流会、フィットネス、ブログ、ホームページetc

民間企業のご支援に感謝

そんな試行錯誤の中、宮崎日日新聞社は全国でも異例の「宮日アマ本因坊戦」を主催され、今年60年の節目を迎える。

また霧島酒造株式会社は年2回霧島酒造杯、宮崎ブーゲンビリア空港はオアシス広場での大会開催で囲碁普及にご支援頂いており、深く感謝申し上げます。

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